前回は、放送を送信する側について調査した。しかし、放送とは、「公衆によつて直接受信されることを目的とする電気通信の送信」なので、公衆が受信するための受信装置も必要だ。
今回は、受信装置側から考えた「放送とはなにか」を調査してみようと思う。なお、ラジオについては、本題である受信契約が必要な放送の対象に含まれないため、調査の対象外とした。
テレビの起源
テレビ放送の受信装置はテレビと呼ばれる。英語ならばTelevisionだ。
1900年の国際万国博覧会、ロシア科学者のコンスタンティン ペルスキーが論文の中で、この用語を初めて使用したそうだ。フランス語の論文なので、論文内で使用された言葉はtélévision。テレビ放送が開始される前の話なので、当然だが現代のテレビを指し示すような意味はない。
以下が、その論文からtélévisionに関する記述を抜き出して、翻訳したものだ。
テレビの原理。送信される画像は無限の光点に分解され、それらを単独で捉えると、非常に多くの光源とみなすことができます。
テレビは、単純なプロセスによって長波を非常に短波に、またはその逆に変換する手段を持っている時に発見されると考えることができます。
Congrès international d’électricitè (Paris, 18-25 août 1900)
良くはわからないが、「きっと、こうすれば出来るはずだ」と伝えたかったに違いない。「ドラマやニュースを自宅で観られる機械を発明してみたよ」と言っていないことだけは確かなようだ。
テレビの誕生
世界で最初のテレビ局とされているのは、1928年、米国のW2XCW(現WRGB)。ただし、送信していたのは実験放送で、「公衆によつて直接受信されることを目的」とはしていなかった。
最初の商用テレビ受信機の製造が始められたのは、1937年のデュモン社によるものだとされている。だが、1938年にデュモン社によって販売されたのは、イギリスのCossor 製のセットの設計をコピーした製品だったという情報もある。
コピーしたのならば、イギリスの方が製造開始は早かった可能性が高い。ロンドンでは1937年に9000台のテレビが販売されたとされている。
いやいや、ドイツでは、1936 年のベルリンオリンピックが放送され、いくつかの民間テレビと公共テレビホールで約16万人の人々が視聴したとされている。だったらドイツの方が先だったのかもしれないぞ。
このように曖昧にせざるを得ないのは、当時のテレビがどのような商品として販売されていたのかが分からないからだ。実用品扱いなのか、公共施設や実験道具の一種といった扱いなのか。
そもそも限られた放送局しか存在していなかった時代に、大量にテレビを売り捌くことができたとは考え難い。デュモン社は、テレビ製造の開始後にW2XVTという実験テレビ局を開設したそうだ。考えてみれば、テレビを売ろうにも観る放送がなければ売れるはずもない。送信と受信の双方を提供した民間企業という意味で、デュモン社が最初に商用テレビ受信機を製造した会社だとされているのかもしれない。
このように、誰が一番だったかというのは条件によって変わるものだ。1番ならば歴史に刻まれるが、2番であれば時と共に忘れ去られてしまう。誰しも1番でありたいのだ。明確な条件を設けて、はっきりさせるよりも、みんなが一番だったことにすれば丸く収まる。
とはいえ、日本が世界で最も早かったとは言えそうにない。日本で最初にテレビ量産を開始したのは、1953年のシャープだそうだから。日本でテレビ放送が始まったのも1953年だから、当然と言えば当然だ。
日本で2番目に量産を開始した会社の名前は、見つけることができなかった。
受信装置の共通点
これらテレビに共通しているのは、テレビ単体では受信装置としての役目を果たさないということだ。登場当初のテレビには受信用のアンテナ設置が必須だった。電波を受信するためだ。
当時のデュモン社の価格表にも「アンテナと設置には若干の追加料金がかかりますよ」と書かれている。
There is a slight additional charge for antenna and installation.
DU MONT Price list 1940
https://www.earlytelevision.org/dumont.html
ここで、ひとつの疑問が浮かぶ。電話は有線から無線である携帯電話へと進化した。ヘッドフォンやスピーカーだって有線から始まり、ワイヤレスが登場したのはその後だ。パソコンのキーボードやマウスも有線が先だ。
テレビは違う。いきなり無線だったのだ。目に見えない電波への接続よりも、ケーブル接続の方が難易度は低そうに思える。
どうしてテレビの受信装置は、有線から無線という進化を辿らなかったのだろうか。